怪談えほん | 岩崎書店

『いるの いないの』京極夏彦 町田尚子 東 雅夫

当代の人気作家5人が子ども向けの「怖い」絵本に挑戦する画期的な企画「怪談えほん」シリーズ。第3弾となる京極夏彦(作)/町田尚子(絵)の『いるの いないの』が発売されました。ベストセラー作家である京極さんが絵本に挑戦するにあたって意識したこととは? 怪談えほんの監修者である文芸評論家、アンソロジストの東雅夫さんがお話をうかがいました。

(インタビュー=東 雅夫、構成・文=タカザワケンジ、協力=オンライン書店ビーケーワン)

「子どもは幽霊を知らないですよ。怖いという感情はあるわけだけど、幽霊だから怖いなんて思うのは、いらない知恵がついてからのことです」

――今回「怪談えほん」の一冊として、というオファーに御快諾いただいた理由からお話いただけますか。

京極
監修者の東さんは、僕がデビュー以来ずっと「怪談は書けません」と公言し続けていることはよくご存じのはずなんですけどね(笑)。もちろん、怪談の定義は多用ですし、作品を解釈するのは読者ですから、書いたものが怪談として読み解かれることはあるだろうし、事実そう読まれているんだとも思います。それに関して抵抗はありません。まあ、怪談は好きだし、怪談を材料にした作品を書いてもいるし、怪談を書いている知人友人も多いし、怪談イベントにも呼ばれるし、何より怪談専門誌にも寄稿してますから、「怪談の人」として諒解されている可能性は高いですが、怪談を書いたことは一度もないつもりです。そこは怪談専門誌の編集長もご了解いただけてるんですよね?

――怪談専門誌『幽』では、怪談ではないという点を強調する形で(笑)、『幽談』『冥談』そして『眩談』の連載をお願いしています。

京極
僕はまだまだ未熟ですから。読み手の感情をコントロールするのは、簡単なことではありません。でも、たとえば読む人をイヤな気持ちにさせるとか、不安にさせるとかいうのは比較的簡単なんです。泣かせるのも、ある程度の手続きを踏めば、かなりの確率で成功する。笑わせるのは泣かせるよりもずっと難しいですが、スベることまで含めて考えれば、まだ作りやすい。それに、そのへんはたとえ狙いがハズれても失敗に見えないの(笑)。まあ小説が下手だと、どうであれ怒らせることになるんでしょうけど(笑)。ところが、怖がらせるのは大変なんです。恐怖という感情は千差万別ですから、不用意に怪談の看板を挙げるのはリスキーですよ。笑われても泣かれても失敗ですしね。僕なんかには敷居が高かった。「おそれ多くて、とても怪談作家とは名乗れません」と、デビューした時から言っているんです。そんなやつが怪談文学賞の選考委員をしていいのか、という疑問はあるんですが(笑)。読むのと書くのは違いますからね。そんなですから、今回が初めてですよ。怪談を依頼されて「はい、わかりました」と書いたのは。

――そういえばそうですね、たしかに。

京極
京極夏彦先生 インタビュー写真でも、子ども向けだからお引き受けしたというわけではありません。対象年齢が低くなったところで、簡単になるわけじゃない。むしろ難しくなる。子どもは大人より怖がりかというと、そんなことはないですね。子どもって「何が怖いか」も、実はわからない状態なんですね。大人はすれっからしていますからね、いろんなところがすり減ったり、痛んだり、鈍くなったりしているだけですね。「怖い」というピュアな感情も摩滅していて「怖いほうが楽しい」とかヘンなことを言い出す人がいるわけで(笑)。子どものチャンネルは全方位的に全開です。どう反応するのかは未知数ですから、余計に難しいですよ。
それでもお引き受けしたのは、「絵本」だったからですね。絵本というのは、画・文・プロデュースが明確に分離していて、それがせめぎあうことで成立する表現です。文章が主ではいけない。それだと挿し絵になっちゃう。絵が主だと、説明文になっちゃう。画と文は対等でなくてはいけませんね。対等にするために、プロデューサーは必要なんです。今回はそれがそろっていました。だから「絵」の力を借りれば、もしかしたらいけるんじゃないかという目論見はあったんです。
余計なものをそぎおとして、視覚言語としての機能も最小限に抑えて、聴覚言語としての間とリズムとをページネーションとして構成して、そこにビジュアルの情報を別途乗せる。そういう計算ですね。そこで、読者に豊饒なイメージを抱かせる余裕を持たせつつ、狙いを絞り込めるんじゃないかと考えたんですね。
たとえば、『嗤う伊右衛門』は題材が四谷怪談なので、怪談小説と捉えられがちなんですが、読む人によってはミステリ、純愛小説、ピカレスクと、受け取り方はいろいろなんです。どれも正解なんだけど、この「いるの いないの」を純愛小説として読む人はいないでしょう。

――たしかに(笑)。

京極
これを読んでゲラゲラ笑う子もいないでしょう。

――夾雑物がないんですね、この絵本には。

京極
言葉をシンプルに磨いていかないと、絵が生きないですし。そうすると、道はいくつもないですね。物語原型のようなものはいくつかあって、ほとんどの物語はそのヴァリエーションになっちゃうんですけど、この場合は物語原型ですらない。もっと原初的なものにしないといけないと思ったんです。

――すぐにこのストーリーでいこう、と考えられたんですか?

京極
京極夏彦先生 インタビュー写真ストーリーはないですね(笑)。僕の小説は長いものでもあんまりストーリーがないですしね。だから、長かろうが短かろうが、考える時間は短いです。ただ1000枚の作品だと書くのに物理的な時間がかかるというだけです。今回は800字程度だったので、すぐにできました。800字ですから、母音と子音と分けたとして、最大でも1600回キーを押せばできあがるわけ。1秒に1回押しても1600秒です。実際にはその半分くらいですけど(笑)。いや、短い時間で書いたというと手を抜いたと思われがちなんですが、僕の場合、分量と制作期間は完全に比例するので仕方がないんです。
多少考えたことといえば、他の四人の方がどんなスタイルで来るのかということですね。被っちゃいけないだろうし。でも、ここまでシンプルにしちゃったら被らないだろうと思いました。

――5人の作家がそれぞれまったく違うお話を書かれたことに驚きましたが、京極さんの『いるの いないの』は京極さんのファンにとっても意外な作品になっているのではないでしょうか。絵があれば怪談が書けるということについて、もう少し詳しくうかがえますか。

京極
絵があれば書けるというか、絵本という装置ならまだやりようがあるな、ということです。テキストだけで怖がらせるのって、不可能じゃないんでしょうけど、かなりテクニックが要りますよ。例えば、まがまがしい字面を連ねるのだって手法のうちです。でも、漢字読めない人には効かないでしょ(笑)。読む人の文化的環境や成熟度、性質性格、そうしたものに大きく左右される。怖がりは「死体がありました」という一文だけで怖がる。でも、死体を見慣れた人には怖くもなんともない。だから怖がらせるためにあれこれ描写をしたりするんだけど、くどくど書けば書くほどに、読むのに時間がかかることになる。衝撃を与えようとする時にそうしたものは邪魔になる。著しくスピード感がそがれてしまうんですね。読む速度は人によってまちまちで、それをコントロールすることはことのほか難しいです。間を取ることはできないわけじゃないけれど、つめるのは技が要る。
絵本の場合は、見開きでまず「ひとつの文字」なんですね。空間性と時間性が見開きに封じ込められているわけだから、そのページにはどれだけ長く「いて」もいいわけ。でも、めくる。この「ページをめくらせること」が文の役割になるわけですね。絵があるから説明は要りませんし。
マンガと同じで、ページネーションが作品そのものに有機的に貢献するスタイルですね。僕は、小説の場合もそこのところは大事だと考えているわけですが、絵本はダイレクトに影響が出ますね。

――では、ページごとの構成を含めて考えられたわけですか?

京極
それは普段からそうなんです。小説の場合は、漢字を増やしたりひらがなを増やしたり、句読点の位置を変えたり、時に行間を空けたり、わざと文章をもたつかせたり、時にはフォントを変えたりまでしてコントロールするしかないんですけど。日本語はそういう点では緩急自在で便利なんですね。でも、絵本の場合はその手の技は全部捨てなくちゃいけない。その代わり、見開きに単語一語しかなくても、滞留時間は長くとれる。絵の力は強いです。

――画家さんがお描きになったラフ(下書き)を見たときには、どうお感じでしたか?

京極
「梁がある」とは書いたけれども、後は何も書いてないわけです。日本家屋だろうな、程度で田舎とも書いてない。そこから画家の方が何を嗅ぎ取ってくださるかが、最初の関門だったわけですけど、それはもう、見事にストライクでしたね。

――岩崎書店さんにお聞きしたいんですが、絵を描かれた町田さんは何かを参考にして描かれたんですか。

岩崎書店
古民家を偵察に行ったそうです。台所や歯を磨くところは、古い家なんだけど改築しているとか、垣根にホースがかかっているとかは、自分の記憶のなかにあったそうです。いままで見たものや撮った写真、気になるものを切り取ってきたものがあって、それと新たに調べた古民家をドッキングさせて描いたとのことです。
京極
京極夏彦先生 インタビュー写真そういう些細なところへの目配りは大切だと思いますね。リアリティというか、現実と乖離していないぞというサインを織り込むことは、怖がらせようとする場合は特に必要な手続きだと思います。絵空事だなと感じられた途端に、怖さは半減してしまいますから。
そうした手続きが踏まれているから、子どもにもちゃんと通じる。町田さんの絵は、大人にはノスタルジックに映るでしょう。でも、今の子どもはこんな風景知らないんじゃないかという人もいると思うんですね。たしかにこんな家を知らない子のほうが多いんだろうけれど、そうした細かい部分の積み重ねがあるから、リアルなものになる。ちゃんと届くだろうと思いました。

――絵の中にさりげなくカミキリムシが描かれていたりする。子どもはこういうところに反応したりしますよね。

京極
汚いゴム手袋とかね。こういうものって物語とは関係ないんですよ。でも、子どもはこういうところから物語に入り込むんです。この絵本が怖いなと思ったら、ゴム手袋を見ただけでも怖いと感じたりするようになるんですよ。みんなその程度のことで怖がっているんです(笑)。町田さんの絵にはそうした力がありますね。

――画家さんの選定はどのようにして?

京極
岩崎書店さんから何人か候補の方を推薦していただいたんです。みなさんそれぞれ上手だったんだけど、狙いがはっきりしていたので町田さん以外にいないかな、と。ほぼ即断でした。断られたときのためにもうお一方選ばせていただきましたけど、町田さんがイチオシでした。

――反響が楽しみですね。

京極
京極夏彦先生 インタビュー写真大人の反応はこの際おいておいて、お子さんはどう思われますかねえ。ただ、怪談なので、一度読んで、怖いからもう見たくない、でもいいし、また見たくなる、でもいいですね。どっちに転んでもハズレはない(笑)。嫌われても好かれてもOKですね。
大人は……何とも思わないんじゃないですか。だって不思議なことは何も書いていないですよ、いつものことですが。上にいる男だって、お化けだとも幽霊だとも一言も書いてない。本当に二階に誰か住んでいるのかもしれないし、わからないですよ、それは。まあ、あんなところにいるのは変だし、多少人相は悪いんだけど(笑)、普通の人かもしれません。
怪談は幽霊を出せばいいんだ、みたいなことをおっしゃる方もいらっしゃるんだけれども、子どもは幽霊を知らないですよ。怖いという感情はあるわけだけど、幽霊だから怖いなんて思うのは、いらない知恵がついてからのことです。いらない知恵をつけるのは、まあ大人ですね。
ヘンなものを見てしまったとしても、幼児はそれが何だかわからないんですね。大人だってわからないんだけども、「幽霊だ」とか「見間違いだ」とか、なんとか決着をつけたがるでしょう、大人は。それこそ「いるのいないの」、というくだらない話になる。ヘンなものが見えることはままあるわけで、それをそのまま受け止めることができないんです、大人は。
で、「あれは幽霊だよ」と教えたところで、幽霊が怖いもんだと思うかどうかは別な話ですね。子どもはヘンなものを怖いと思ってないかもしれない。まあ、大概は「怖い」という思いが先にあって、それに対して「幽霊だよ」みたいな説明が施されるから、「幽霊」=「怖い」という形に収まるわけですが、それってどうなんだ、と。そういう判断は、成長の過程で、自分できちんと考えて獲得していって欲しいですね。きちんと考えればわかることです。そのうえで「幽霊だと思いたい」なら、それはもうその人の自由ですから。
最初に言ったとおり、怖いという感情は多様なものなんです。その多様さって、個性だし文化だし大切にしなくちゃいけないものだと思う。「怖さ」を知ることは大事です。でも、わからないものはわからないと知ることも大事です。わからないけど怖いなら、なぜ「怖い」のかを考えるだろうし。大人が決めつけちゃダメだと思うんです。だから、なるべくそういう大人の価値観は排除したかったですね。
そういう決めつけも、表現と一緒に落としていく。「怖い」の原型だけを残したい。それが『いるの いないの』でやってみたかったことですね。

オンライン書店ビーケーワンで本書を2012年2月29日(水)までにご購入いただくと、
購入者特典として、こちらのインタビューの完全版がお読みいただけます。

怪談絵本シリーズ ラインナップ

宮部みゆき x 吉田尚令 『悪い本』 皆川博子  x 宇野亜喜良『マイマイとナイナイ』 京極夏彦 x 町田尚子『いるの いないの』 恒川光太郎 x 大畑いくの 『ゆうれいのまち』 加門七海   x 軽部武宏 『ちょうつがい きいきい』

恩田 陸×樋口佳絵『かがみのなか』 岩井志麻子×寺門孝之『おんなのしろいあし』 綾辻行人×牧野千穂『くうきにんげん』    高橋克彦 小野不由美